中村モーターサイクル商会 仕事の話

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自制心と美学について考える(3)

前回は、囚人のジレンマの戦略について考えました。

「相手が裏切らない限りは、目先の利益に惑わされずに協調を続ける」と結論しました。

とはいえ、あくまでもゲーム理論であって、実際的とは言えない面もあります。今回は、よくありがちなシチュエーションで検証したいと思います。

 

・適正な報酬での取引を考える

①相手が大きく利得があって、自分は少なく利得がある

 

②自分に大きく利得があって、相手は少なく利得がある

 

まずは、この2パターンのうち①について、たとえ話で考えてみます。

 

A君は、明日食う米にも事欠くほど困窮していました。

見かねた知り合いのBさんから飯を奢ってもらい、アルバイトを紹介してもらいました。キツイ肉体労働でしたが、特に技能は必要なく誰でもできる仕事でした。

日当10000円は魅力的です。数か月は仕事があるとのことで、生活が安定する期待が高まりました。僅かながら貯金もできるかもしれません。

 

しかし、後ほどBさんの日当が、実は15000円だと知らされます。

とくに技術的に優劣もなく同じ仕事なのに差がありすぎますが、まだ仕事があるだけマシです。紹介してもらえなければ仕事にありつけなかったわけですし、食べていくためには収入が必要だからです。むしろ、せっかく親切で紹介してくれたのだからと、知り合いの心遣いに感謝します。

 

しかし、相対的にみればBさんに対してA君は損をしているのです。

あなたがA君の立場なら納得できるでしょうか。仕方がないなと諦めつつも、胸にモヤモヤしたものが残るのではないでしょうか。

 

つぎに、シチュエーションを変えて考えてみます。

A君の日当は、実は派遣会社から15000円支給されているが、紹介料として5000円徴収しているとBさんから説明されます。

先ほどの例と同じく、受け取るのは10000円ですが、Bさんにインセンティブが働いています。

 

今後も同じ条件でバイトを続けるか、辞めるか、交渉する。3つの選択があります。

文句を言わずこのまま続ければ、不公平感は否めないものの、しばらくの間10000円の日当にありつけます。

辞めると日当を受け取れません。明日からどうやって生活するか考えなくてはなりません。自分だけが損をした気分にはならずにすむのが救いです。

 

A君が仕事を辞めると、Bさんは受け取れるはずだった利得がゼロになるわけです。紹介料を下げてでもA君に仕事を続けて欲しいはずです。

ならば、お互いが「合理的」に交渉を続ければ、不公平は是正されるでしょうか。 

話はそんなに単純ではありません。

A君は、今の仕事を誰か別の人に取られて、自分が切られるかもしれないと心配になります。誰でもできる仕事だし、Bさんの立場で考えたなら「聞き分けのいい人」に仕事を振るだけで、バックマージンが安定するからです。

それに恩もあります。仕事を紹介してくれた善意を踏みにじっているような罪悪感も生まれます。

だから、合わない仕事だな、自分が食い物にされているなと思いつつも、仕事を続けざるを得ないこともあるのです。

 

・割に合わない仕事を断る余裕のある人とない人がいる

 

優良顧客に恵まれているバイク屋は、一見さんの仕事を断ります。金払いのいい常連さんの仕事で十分潤っているからです。また、よく知らない人の仕事はトラブルの原因になりますから避けたいのです。

 

いっぽうで、仕事がなく金に苦労している店は、仕事を断る余裕がありません。忙しくて手が足りなくとも、とにかく受けます。いつ仕事にありつけるか分からないからです。

 

もちろん、依頼する側にもリスクや経費が掛かっていますから、分配率に関しては仕方のない面もあります。しかし、仕事内容に対して適正な報酬を、対等な立場で話し合っていない部分が問題なのです。

このような、割に合わなくても仕事ができれば構わないだろうという考え方は、やりがい搾取とも関連があります。

弱みに付け込み、少しでも利があるのだから不公平ではあるが非道ではない。全てを奪い取っているわけではないと、うそぶく。

この世の中、仕事を回す側が強いのです。なぜなら、小さなパイを大人数で分け合っているからです。

 

・お人好しや立場の弱い人を食い物にしてはいけない理由

 

他人を食い物にする人間は、知り合ってしばらくの間は、おとなしくして相手の出方を観察しています。

その期間に、相手が「しっぺ返し戦略」をとるか判断して、やり返してこなさそうな人間は「ナメてもいい人」とみなし、やり返してきそうな人は「ナメちゃいけない人」と区別します。

意気地のある、損をしてでも筋を通す人は、面倒くさくて相手にしたくない。関わりたくない。だからお人好しや、弱みがある人を食い物としてターゲットにします。

 

もちろん、食われている側も不満がないわけではありません。徹底的にしゃぶりつくされたら、いつか感情が爆発することがあるでしょう。一度そうなった人は恐ろしいです。

 

窮鼠猫を噛むといいます。追い詰められたら、差し違えを考える人もいます。相手をみてマウンティングしても危険かもしれません。

 

・情けは人の為ならず

相手がお人好しであっても、立場が弱くても、自分の利得を自制して相手の立場に立って考える「おもいやり」が、結果として敵を作らず、自分の身の安全につながるのです。

 

人を人と思わない思考回路の人は、「やさしさ」を考えるより、相手にやり返されるかもしれない、社会に制裁されるかもしれないリスクを考えたほうがいいと思います。

 

誰もが、人を出し抜きたい。序列のなかで優位に立ちたい。

それは当たり前です。しかし、人として許されるラインを超えないよう自制する。

自身の幸福を追求する権利はありますが、他人を不快にしてもよい権利はないからです。

 

次回はまとめになります。