昔かたぎのバイク屋のおやじは、なぜ気難しいのか
昔ながらの、ウデはいいが愛想のない店主が経営するバイク店は、近年、次々と閉店し確実に数を減らしています。
「個人名にモータース」の屋号は、今となっては懐かしさすら感じます。
今から四十年以上前、まだ量販店もメガディーラーも無かった頃は、個人経営のモータースからバイクを買って修理してもらうのが一般的でした。
モータースには、ウデはいいが気難しいおやじがいて、当時十~二十代の若者は、おっかなびっくり修理をお願いしていた、なんて話を聞きます。
まず、店に入るまでに勇気がいります。ガラス扉の向こう側は紫煙が漂い、年配の男たちが椅子に座って歓談しているのです。
意を決して店内に入ると、常連たちから「何しに来たんだ」と言わんばかりの視線を浴びます。居たたまれなさに助け舟をだしてもらおうと、おやじさんに目を向けますが知らんふりされます。「すみません」と声をかけてもしばらくは反応がありません。帰りたくなる気持ちを抑え、やや大きめに声を張って、しかし機嫌を損ねないようなトーンで「あの、すみません!」と声掛けする。
遊びに行ってもコーヒーの一杯すら出てこない。こんな雰囲気だったそうです。
長くバイクに乗っている人なら、こんな洗礼を受けた、あるいは話を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
なぜ、昔かたぎのバイク屋のおやじは気難しいのか。私なりの考察を述べてみたいと思います。
・キーワードは「面倒」
私が修行した店で聞いた話です。先代の話なので、四十五~五十年くらい前のことだと思います。
先代がパンク修理をして、お客さんに修理工賃を請求したら、こう言われたそうです。
「おやじ、工賃高いよ。もっとまけてくれよ」
先代は、ああ、そうかいと、タイヤに錐で穴を開けて言いました。
「これで元通りだ」
「おやじ、そりゃないよ。もう一度直してくれよ」
「直してもいいけど、もう一回分工賃貰うよ」
ものには言い方があります。工賃高いからまけてくれは失礼ですよね。もし、お金が足りないなら、そう言えばいい。
それをいちいち 口で説明するのは「面倒」くさい。しかし、せっかく直した手間を捨ててでも分からせたい。そういうことではないかと思います。
礼儀というのは、あいさつができるとか、お辞儀の角度の話ではなく、相手の立場に立った振舞いのことです。人生経験が浅いうちは、知らずに失礼な行動をとってしまうこともあります。
私は、説教を食らっているうちがマシだったのだと後になって気がつきました。未だに礼儀について考えていますが、分からないことだらけです。人情の機微に疎い自分を情けなく思うことも多々あります。
三十路を超えると、誰も教えてくれなくなります。相手にされなくなります。
若いうちは物事を知りません。だから若さに免じて失礼が許されることもあります。
私の先輩から教わった小話があります。
「自分でやるから工具を貸してくれ」という客になんと言うか。
「じゃあお客さん。あそこの床屋に行って、自分の髪を切りたいからハサミ貸してくれと言って、借りてこられたら貸してあげますよ」
借りに行った客は一人もいない。
まあ、魚屋に包丁でもいいのですが、とにかく商売人に商売道具を貸してくれというのは言ってはいけないんだよ、ということを伝えているわけです。
当時の若者たちは、悪気はなくとも無礼なことをしていたのかもしれません。
私はその時代を良く知りませんが、当時バイクに乗っている若者には「ワル」が多かったのは事実です。バイクライディングは現在のような趣味やスポーツとして認知されてはいませんでした。バイクは「不良の乗り物」のイメージが強かったのです。
なめられまいと意気がり、社会より不良の掟に従う彼らをどう扱うか。バイク屋のおやじは考えたはずです。
昔ながらのバイク屋のおやじが気難しく見えるのは、失礼な態度で正面からぶつかってくる未熟な若者に、いちいち社会のルールを教えなくてはならない「面倒」くささと葛藤していた姿なのではないでしょうか。
・お客さんと店の間にある見えない壁を意識できるか
昔からバイクに乗るお客さんは、「バイクの面倒をみてください」という言い方をします。これは、お客さんが「自分の要望やこだわりを聞いてください」と言っているのと同じです。
そちらは商売してもらって、こちらは面倒を見てもらう間柄になってくださいね、と言っているわけです。
しつこいようですが、この「面倒」は、かったるいほうの意味の面倒ではありません。
趣味では、こだわりを突き詰めます。それは他人からしたら面倒なものです。
可能な限り、わがままを聞きましょう、尊重しましょう、というのが面倒を見るということです。
わがままをどこまで許容するか。お互いの気遣いが肝心です。その距離感を探りあうのもまた「面倒」なことです。
お客さんもバイク屋のおやじも、バイク好き同士です。ツーリングに行ったり、談義をしたりと関係性が近くなる傾向が強いわけです。
ですから、「面倒をみる、みてもらう関係」を忘れ、店側と客の間の壁を意識するのがなおざりだと、後で人間関係がやりづらくなるのです。
そのような微妙な空気の温度差を、バイク屋のおやじは気難しい態度で伝えていたのです。