要約
人間関係における内的な欲求についての考察です。顕在的な利益を求めることへの疑問から始まり、内的な価値を持つもの、言い換えるなら「自分の中でしっくりくるものは何か」を問い、それは美学であり、本質は自制心であると結論しました。
難しいテーマですが、なるべく自分の言葉で伝えていきたいと思います。
・粋(いき)と粋(すい)について考える
ざっくりと言うと、粋(いき)とは意気ともいいます。江戸時代からの美意識のことです。
いっぽう、粋(すい)とは京の言葉で、物事を突き詰めたその先にあるもののことです。
このテーマは、人によってさまざまな考えがあり、どれが正しいというのはありませんが、先人の考えを咀嚼し、自分なりの結論を述べたいと思います。
粋(いき)というのは、言葉にすると説明しにくいものですね。
高嶺の花は憧れのままで終わりにする、踏み込みすぎず一定の距離を保つさっぱりとした潔さと諦め、とくにこうと決まった指針はなく、相反する要素が繊細に釣り合っている様子、損をしてでも筋を通す一種のやせ我慢。こういう感じと捉えています。
一言でいえば、「自制の美学」だと思います。
おおらかさと繊細さの入り混じった複雑な意識です。粋も野暮も表裏一体、鏡合わせと言えます。
本来は、粘着質で神経質な性格でも、粋がかっこいいという価値観になると、グチグチいうのがカッコ悪いと思います。だから自制する。執着やこだわるのが面倒くせえ、口約束で十分。契約とか野暮なことはしゃらくせえ、となります。
いいところを見せて粋だと承認されたい。だからコソコソ練習して上手くなって、さも上手くて当たり前のように振舞います。
他人の失敗には寛容であることも粋です。「仕方ねえな」の一言で済ましてしまう。
ぎゃくに、人に恥をかかせるのは野暮だとも言えます。「それは野暮だよ」と指摘する人は、実は別の場面で野暮な行為をしているのですが、それには気がついていません。
さらっとしているのに、ウエッティといいますか、重箱の隅を楊枝でほじくるのは野暮だし、人情の機微に鈍感なのも野暮なのです。
自慢話もわざとしません。誰かが気が付いて指摘するまでは、ひたすらガマンします。
金がなくとも、後輩には飲食を奢ります。
猫の手でも借りたいくらい忙しくとも、お世話になってる人に仕事を頼まれたら、そちらを優先します。
自分を出したいところをぐっと自制して、こらえる姿が粋なのです。
生き方そのものが目的といいますか、カッコいい生き方をするのが価値基準、選択基準となっているわけです。
つぎに、粋(すい)について述べます。
凝りに凝ってやり尽くした先にあるものが粋です。粋を極める、と言います。
趣味人。マニアック。こだわりが深く、極めるのが目的です。いくらでも時間もお金もつぎ込んで、とにかくいけるところまでいく、いきたい。いくのがカッコいい。
趣味に生きていることで尊敬されている人もいます。財力をもって粋を極めてこそ、本物のお大尽でしょう。
粋人は、趣味にどれだけ手間をかけたか、金をかけたかが重要です。
あまりこだわりのない人が粋な生活に憧れても、面倒くさくて疲れると思います。
作法やお約束がありすぎるのです。知らずにやったことが、「それは邪道だ」「わかってないね、これだから素人は嫌だね」と後ろ指をさされてしまうのです。
また、どれだけ深い知識があるか、仲間同士で「口(くち)プロレス」に興じますので、競い合いや意地の張り合いが、また疲れるのです。
そして、これが大事なことですが、一見、両極端のように見える粋(いき)と粋(すい)と呼ばれる性質が、一人の人間の中に共存しているのです。
・痛車を見たときの反応
余談ですが、面白いのは痛車、痛バイクを見たときの人の反応です。
私自身は、正直、萌えアニメに興味がないのでなんとも思わないのですが、周囲にはあまり好意的な反応ではない人が多いのですね。
「気持ち悪い」というのです。オタクが嫌なのか、アニメが嫌なのか、あるいはどちらも嫌いなのかは、彼らとその話題を突き詰めたことがないので分かりません。
ひょっとしたら、オタク特有の一つのことを必要以上に追及する粘り強い行動が「野暮」だと思っているのかもしれません。
しかし、こうも言えます。あえて実在しない二次元の存在を愛でるというのは、憧れを憧れのままで諦める「粋」な行動だと。
また、痛車のカッティングシート施工技術や、デザインのクオリティが秀逸なものが多いのは事実です。オタクには粋(すい)人が多いのも指摘しておきます。
粋(いき)の美意識では、いちいちと取引を契約や書面にするのは野暮だと考える傾向があります。
それは、お互いが信頼し合っている証とも言えます。約束を反故にするのは、野暮だ。お天道様がみているし悪さは気持ちが悪い。お互いが自制心をもっている。それが前提の関係だからです。
法律でお互いを縛るより、社会的な(その業界の慣習)の流儀に則る。これが粋で意気だからです。
うちの店では値引き交渉がありません。ありがたい話です。
値引き要求が苦手な人もいると思います。私もそうです。
値段を引いてくれ、ということは、相手に泣いてもらって、自身がより得な取引にすることです。
本当は、誰もが自分を優先したいのです。しかし、それを口にだしたら幼いな、カッコ悪いな、恥ずかしいなと自制する感情が働きます。そして、相手方の立場を考えて尊重しようとする心理が働きます。
例えば、列に割り込む人がいると腹が立つのは、みんなが自己優先の感情を自制しているにも関わらず、その人が我が儘な行動をしているからです。
しかし、本音は忖度されたいし、特別扱いされたいのが人間です。それをお互いやる。その微妙で繊細な匙加減が粋か野暮かを分けるのです。これが「気持ちのいいやりとり」です。
ですが、誰もが粋な精神構造ではないのです。だから、気持ちのいいやりとりをするのはハードルが高い。
そこで、このような感情を排除して取引をしよう、合理的な判断で交渉しよう。と考える人が出現します。
そして、契約で明確にルールを線引きしよう。合意した内容は絶対にお互いに守ろう。守らないとペナルティを課しますよ、というわけです。現在の主流な考え方ですね。
では、徹底的に合理的な方法で交渉するとしたら、人間関係はどうなるのでしょうか。次回考えてみたいと思います。